熊本県議会 2045-06-01 06月15日-05号
次に、陸上交通問題でございますが、国道二百八号線玉名バイパスについては、昭和五十六年度九州地方建設局で作成いたしましたバイパス計画案について、建設省都市局と都市計画決定の協議が完了しました。したがいまして、昭和五十七年七月の都市計画審議会に諮るよう手続を進めているところでございます。
次に、陸上交通問題でございますが、国道二百八号線玉名バイパスについては、昭和五十六年度九州地方建設局で作成いたしましたバイパス計画案について、建設省都市局と都市計画決定の協議が完了しました。したがいまして、昭和五十七年七月の都市計画審議会に諮るよう手続を進めているところでございます。
お尋ねの第一点は、この基本計画の策定に当たりまして学識経験者や各界代表の意見を聴取する機会をつくり、県民に期待され実現性を持ったものを策定すべきだという御意見でございましたが、これにつきましては、学識経験者を初め、建設省あるいは運輸省等の国の出先機関、さらには交通業界、産業界、市町村の実務担当者に参加いただきまして、基幹交通体系基本計画策定協議会を設置しております。
御承知のとおり、加勢川は建設省直轄の河川でございます。都市近郊の河川のため、用地費のかさむことも、莫大な事業予算を必要とすることも十分わかっております。昭和四十七年ごろから始まった改修は、全長十一キロにわたるうち、残念ながら野田ぜき及びその下流一部だけしか完成しておらず、遅々として進まずとしか言わざるを得ません。川尻の元三排水機場も、加勢川の水位が四メートル以上になりますと運転ができません。
以前も指摘しましたが、この路線は平成5年に建設省から主要地方道に指定され、同年、勝山市と美山町の多くの住民の署名とともに、未改良区間の整備と交通不能区間の解消を求める請願書が当時の今村県議、笠羽県議、別田県議の紹介で県議会に提出され、採択されたという経緯があります。そのことを考えると、30年近く手つかずのままとなっているのはあんまりではないかと思います。
また、遠藤代議士は、泉田道路建設に当たり旧建設省と山形県のやり取りの内容などのエピソードを披露され、改めて多くの方々が携わっていたことを再認識したところです。また、地元代表として山尾新庄市長は、この開通を契機として、これからこの地域を人が活躍する文化創造の地にしなければならないと謝辞を述べられ、非常に納得感のあるものでした。
結局、建設電力委員会に付託され、「早明浦ダム建設に関連する重点要望事項については、知事において、なお今後とも不断の努力を払い、完全実施を期すべきである」、「地元町村と建設省との間に締結した協定事項について、県は積極的に協力指導を行い、その万全を期すべきである」、「嶺北地域開発基本構想並びに関係町村の県に対する要望等については、関係町村の要望に沿うよう可及的速やかに具体的計画の樹立、予算措置等を講じ、
また、それに先立ち、県の経団連、八木会長が7月6日に建設省資源エネルギー庁の保坂長官、小沢次長と面談、電力構成の原子力20%から22%達成に既存原子力発電所の早期再稼働や新増設・リプレースを推進するよう要請、エネルギー原子力政策に関する提言書を提出している。
そのときに、当時の建設省の審議会で、やはり200軒の家が動かないといけないというのは大変だということで、旧美山町の足羽川ダム計画については見直したほうがいいということを当時の建設省が意見を出したということがあって、現在の、さらに上流の池田町に移ったという経過が、簡単に言えばあるわけだが、その200軒という数字が、この数字と頭の中ではダブったのである。
国会議員、建設省、沿線自治体、関係団体や周辺自治会など、多くの皆様が会場に来場され、大きな熱気を感じることができました。 高規格道路は、農林水産業の振興、地域間交流の活性化や、緊急医療や災害時の代替など多岐にわたり、いかに道路が重要なのか、改めて感じることができました。一つの道路をつなげるためには、長崎県民の総意を結集して取り組まなければならないと感じ、以下、質問いたします。
私も、建設省に入って26年間、主に道路行政で仕事をしてきましたけれども、多くの都市計画の見直しの個別路線の仕事に関わってきました。
知事のこれまでの経歴を拝見しますと、昭和六十一年に当時の建設省に入省され、以来約三十五年にわたり、全国のまちづくり、災害対応、そして道路整備などに従事してこられました。
また、旧建設省土木研究所でアーマーレビー堤防の技術開発を行っていた石崎勝義さんは、堤防が決壊すれば国交省は予算を確保することができる、国交省の役人は今回のように決壊するのは都合がいいと思っている、耐越水堤防が技術的に確立されているにもかかわらず、それをさせないというのは犯罪だとまで、一般人が聞いたら驚くようなことを語っておられます。
一九九七年、当時の建設省のダム事業総点検により、足踏みダムとされて中断しましたが、二〇〇八年度予算に国交省が調査費を盛り込んだことで復活、二〇〇九年度から同事業が再スタートしました。総事業費は約四百億円、完成予定は二〇三九年度と見込まれています。 同事業について、県は、八月十日、下関、長門両市の地権者協議会との基本協定に調印し、今後、地元説明会や現地測量に着手するとしています。
それ以来、発生が続いたため、一九九五年に木曽川を管理する当時の建設省中部地方建設局は、尾西市、そして祖父江町、一宮市、県の関係行政機関をメンバーとする木曽川ユスリカ対策連絡会議を設置しました。現在は、中部地方整備局木曽川上流河川事務所、独立行政法人水資源機構、愛知県、一宮市、稲沢市がメンバーであります。 キソガワフユユスリカは、秋の終わりから冬の間のみ発生します。
一九六一年、建設省建設局長通知、公営住宅法施行令第一条第三号の収入認定の特例についてでは、一時的な収入に該当するものは、所得金額の認定に当たって額を除くことは可能とされています。今回の政府の答弁書は、この一時的な収入に持続化給付金等を入れてもいいということなのであります。 私は、この間、中国、四国、九州十八県に対応を聞きました。
月山道路は、山形を代表する景勝道路として、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された日本の道百選に選定されている道路であります。全三十・九キロ区間の中に数多くの橋梁やトンネルなどの構造物があり、日本有数の豪雪地帯である地域を横断するため、開通から一九九〇年までは冬季の夜間は通行止めとなっていました。
当時の建設省や農林省、それから総務省--当時は自治省ですね。そういうところが一緒になって、松島湾の作澪から何から松島湾リフレッシュ事業をやったのです。先般、ニュースを見ておりますと、地震等で大分隆起したりしていて観光業者が通れない水路がたくさんあるということを伺ってます。この国土強靱化予算を使って、大いにそういうところも整備するべきだと思いますので、いかがでしょうか。
ところが当時の建設省は九頭竜川、日野川の河川の流れのカーブを緩やかにする、日野川五大引堤事業を推進し、団地として造成された土地がやむなく九頭竜川、日野川の川底及び堤防の敷地と化した。住宅・宅地供給のために提供した貴重な田畑が、福井市街地を洪水から守るためという大義名分の犠牲になった。現代版国盗り物語と言っても過言ではないと思う。
延長は20.6キロ、建設省の権限代行事業により、昭和42年から事業が進められ、平成7年度までに、日南市酒谷から都城市尾平野までの区間7.7キロと、都城市早鈴町から三股町宮村地区までの区間5.8キロが完成し、供用を開始されております。 残る尾平野から三股町までの区間、約7キロについては、平成10年度に休止区域とされ、24年が経過いたしました。
本事業は、一九九三年に当時の建設省から主要地方道に指定された全長三十三キロメートルの国道三号を補完する道路です。二〇〇三年、工事に着手され、二〇〇五年には沿線に九州国立博物館が開館し、アクセス道路としてもその重要性はますます高まっています。